仏教と自死

残念なことに、僧侶の中には、法話の中で「自死(自殺)は仏教の教えに反している」としたり、 「いのちの尊さ」を話したりして、遺族の悲しみを増す例がまだまだ残っているとのことです。
もし僧侶の方が、思い込みから、そのような発言をして遺族を傷つけているとすれば、 それは、「仏教の教え(教義)を離れたところからの発言」と言えるようです。
  
【自死と仏教の教え】 (浄土真宗本願寺派 教学伝道研究センター 見解)
同センター(京都市)では、原始仏典と大乗仏典にさかのぼり、自死(自殺)に関連する仏典の記載、600箇所余りを調査しました。 その結果、
『釈尊(ブッダ)は自殺について価値判断していない。 仏典は、ぎりぎりのところまで「生きていてほしい」と呼びかける一方、自殺そのものにつては、良いとも悪いとも語っていない。 釈尊の時代には、正面から自殺の問題に向き合っていた。是非論ではなく、当事者の苦しみを受け入れていくことこそがテーマとされていた。』と、仏典全体を通して確認されました。
  
『雑阿含経』 (原始仏教経典)より
仏弟子のヴァッカリは、重い病に罹って苦しみ、自死を考えていた。お見舞いに訪れた釈尊は、ヴァッカリに対し無常の教えを説いた。 その後ヴァッカリは自死したが、釈尊は弟子たちに対して、ヴァッカリが涅槃したことを述べた。
  
ここで注目したいのは、釈尊はヴァッカリがいかに教義を理解していたか、どのように仏法を学んでいたかということのみを問うている点です。 つまり、釈尊はヴァッカリの「自死という亡くなり方」について、それが善であるか悪であるかの価値判断を行っていないのです。
自死した弟子を非難しないという釈尊の対応は、同様に病苦から死を選んだチャンナという修行僧(比丘)に対しても見ることができます。
この点は、出家者集団(サンガ)の運営上の規則を集大成した「律蔵」の記述からも確認できます。  ・・・・・「自死という亡くなり方」を根拠とする罰則は見当たりません。
     ~ 浄土真宗本願寺派 月刊「宗報」2009年6月号~2010年2月号より抜粋 ~ 

  • 詳しくは『自死問題に関する取り組み』(浄土真宗本願寺派総合研究所)をご覧ください
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    キリスト教と自死

    聖書には、旧約、新約を通じて、自殺を禁止する言葉はなく、自殺についての倫理的判断を明確にはしていません。
     
    【誤解と偏見の歴史】
    しかし、4世紀になり、神学者アウグスティヌスは、「自殺は、悔い改めの可能性を締め出し、モーセの第5戒『殺すなかれ』を犯す罪である」として、 自殺禁止の教義を確立します。当時宗教的熱狂から自殺を肯定する習慣が流行し、アウグスティヌスはキリスト者を減らさない目的で 自殺を非難したとも言われています。
    中世には、トマス・アクィナスにより、「自殺は、神の主権を侵害するものだ」とされ、教会での葬儀や墓地への埋葬が拒否されました。
    近代(18世紀の啓蒙期)になると、自殺を断罪する教義や法律は形骸化してゆきました。
     
    【現代の自殺論】
    1961年の英国での自殺禁止令と前後して、世界各地で自殺予防運動が始まり、本格的な自殺予防研究も広がりを見せました。 この結果、現代精神医学の新しい知見によって、「自殺は精神の病理であり、それは道徳的・法律的に規制されたり罰したりすべきものではなく、 治療と社会的な支援が必要である。」とする認識が共有されました。また自殺を単に個人の病理とするのではなく、これを社会病理として捉え、 その予防・治療も社会の課題として捉えようとする動きが高まりました。
     
    米国の倫理学者バッティンは、「病気や老齢に由来する自殺など、今日見られる自殺の99%は、アウグスティヌスの意識にはなかった」としています。
    孤独で心身共に病んでいる自殺者、あるいはその遺族をケアするのが宗教者本来の役割であるにもかかわらず、自殺禁止の教義が一人歩きしてしまったところに、 自殺に対する誤解と偏見、そして多くの悲劇が生まれたといえるのではないでしょうか。
     
    現代キリスト教神学者ボンヘッファーは、「自殺行為を防ぐいかなる人間的・心的な律法も存在しない」「神の恵みは、この最も困難な誘惑の下において、 人間がそのような誘惑と戦うことができなくなった時にも、彼を包み支えることができないと、誰が言いうるであろうか」と言っています。
     
     (出典) 斎藤友紀雄様(日本いのちの電話連盟前常務理事)のご了解を得て、同氏の著作、
         「自殺危機とそのケア」(キリスト新聞社 2009年刊)などより、要旨を掲載  

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    日本カトリック司教団メッセージ

    日本カトリック司教団による2001年の公式メッセージで次の様に述べられています。
     
    『「この世で人生は終わらない」「神の世界につながっている」、それがわたくしたちの信仰です。 すべての人のいのちは、この世の歩みを終えたあと、 この地上の労苦と重荷から解き放たれ、永遠の神のいのちに包まれていくのです。
    神は正義の神であると同時にあわれみの神でもあります。 (中略)  
    この世の複雑な現実と、人間の弱さを考えるとき、わたしたちは自殺したかたがたの上に、神のあわれみが豊かに注がれるであろうことを信じます。 しかし残念なことに、教会は、「いのちを自ら断つことはいのちの主である神に対する大罪である」との立場から、これまで自殺者に対して、 冷たく裁き手として振る舞い、差別を助長してきました。 今その事実を認め、わたしたちは深く反省します。』

     (出典) 『いのちへのまなざし』 日本カトリック司教団公式メッセージ2001

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